【コラム】ネガティブ思考を瞑想で変えていく

~あなたのネガティブ思考でさえ、内面的な平安を探し求めています。瞑想によってネガティブ思考を歓迎し受容する練習を実践しましょう~

リチャード・ミラー博士
『Yoga Journal 米国版』2016年11月14日掲載

《ネガティブ思考さえも、内なる平和を探し求めている》

思考は目に見えず、形がなく、個人的なものですが、あなたの人生の道程に影響を及ぼす多大な力があります。南カリフォルニア大学のニューロイメージング(神経画像)研究室の研究によれば、人は日々70,000程のあらゆる種類の思考(肯定的/否定的、思いやりある/害のある)を経験しています。思考によって人は希望やつながり、そして恐れや孤独を感じます。思考は「自分が偉大なことができる」あるいは逆に「自分は絶望的だから大物になれない」と、信じさせます。発明家で自動車のパイオニアであるヘンリー・フォードは、「あなたができると思っていても、できないと思っていても、どちらもあなたは正しいのです」

主に思考は、思考に対する身体の反応から影響を受けます。つまり自分が「能力がある」もしくは「無力だ」と、どちらの考えを持つにしても、神経システム全体に影響を与えるホルモンを分泌することによって、身体が反応します。例えば、自分が脅かされていると思うと(自分の家に誰かが侵入していると信じている等)、人の身体はコルチゾールを分泌して、闘うか逃げるかの準備をします。あるいは、自分が深くリラックスしていると想像してみてください(お気に入りのペットと抱き合っているというような)。この状況下では、身体はオキシトシンとセロトニン、つまり安全やくつろぎを味あわせてくれる幸せホルモンを分泌します。
という訳で、人の思考を変えたり、ポジティブ傾向になるように視点を変えることができれば、身体がそれに反応して、明るい気持ちになったり、周りの世界により繋がっていると感じられるように作用してくれるというのは理にかなったことでしょう。シンプルなように聞こえますが、実際には人の思考を変えることは、信じがたいほどの集中、決意、勇気を要するのです。人の思考を扱うことは、野生のマウンテンライオンと遭遇するようなものです。その「大きな猫」を目にすると、はじめに生じる衝動は走ることかもしれませんが、実際に「大きな猫」の脅威に直面すると、人は地面にすっくと立ち、自分自身を大きく見せようとすることでしょう。しかし、もしマウンテンライオンから(あるいは自分の思考から)走って逃げれば、そのマウンテンライオンは追いかけてくる可能性が高いでしょう。たとえば、「無力だ」や「怖い」といった思考は、あなたが向きを変えてその思考に直面しようとするまであなたについて回る傾向があります。マウンテンライオンから逃げようとするのと同じように、自分の思考から逃げることは、最終的には無駄なのです。思考は常にあなたに追いつきます。最高の防衛は準備することなのです。

荒野でのサバイバルや救急訓練を体験すると、マウンテンライオンとの遭遇など、起こりうる危機事態に関して色々な面で準備ができます。それと同様に、瞑想をすることは、自分の様々な思いや考えにどのように対処したらよいか、人に備えをさせてくれます。湧き起こってきた思いや考えが激しかったり、潜在的にネガティブなものであった場合、瞑想することは、心穏やかでいる方法を指し示してくれます。つまり、反応する前にまずよく状況を観察することを、瞑想は教えてくれ、自分の思考と向き合うことを助けてくれるのです。瞑想の過程で呼吸を感じ、自分の思考や感情を抱きしめるようにして向かい合うことで、一つ一つの思いや考えを、メッセンジャーと見なせるようになります。つまり、自分と自分を取り巻く世界との調和の中に自分がいるのだと実感できるようするために、どう反応したら良いのか、という情報を伝えてくれるメッセンジャーとして受け入れられるようになるのです。たとえば、「自分はまだまだだ」や「無力だ」と思った時、そのような否定的思いや考えを、「立ち止まり、自分には必要な資質が備わっていて有能な存在なのだと感じるために、何ができるか、内省しましょう」という信号として、認識することができます。

そのためには、この先「私は劣っている」「愛されない」と思っている自分を察知した時には、心を落ち着かせ、ペースをゆっくりにして、最善を尽くしている自分に気付き、思いやりや親愛の気持ち、いたわりやねぎらいの気持ちを、自分自身に向けて下さい。自分の思考が伝えようとしている、自身の根底にあるメッセージに、真に耳を傾けて対応すれば、ネガティブな思考は、あなたという人を追いかけ回し追い詰め、疲弊させるのではなく、元々の目的を果たして薄れ始めることでしょう。私はこの実践的方法を、「反対の思考を歓迎する方法」と呼んでおり、これは、ネガティブな考えの泥沼にはまりこむことを避ける上で、確実な方法の一つです。また、決して揺らぐことのない内なる平安を見つけ出せるように助けてくれるメッセンジャーとして、ネガティブ/ポジティブ両方の思考・イメージ・記憶を経験できる能力を育むうえで役に立つでしょう。

反対の思考を受け入れるための瞑想の実践

あらゆる考えが自分の体に生じさせている感覚を考察しましょう。「私はもうだめだ」「ボロボロだ」とか、その反対に 「私はありのままでいい」と思い込むと、自分の身体の中で何かを感じます。心臓は収縮あるいは拡張します。
あなたの腸が緊張もしくは弛緩します。悲しみや、意気消沈、または幸せで活気に溢れていると感じてみます。「反対の思考を受け入れる」瞑想の実践は、それぞれの思考に結び付いた感覚にチャンネルを合わせ、より幅広い可能性について考えることを可能にします。ネガティブな思考のパターンには陥ってしまっている自分自身を見つけたらいつでも、つまり瞑想中あるいは日常生活の中、どちらであっても、これを実践することができます。以下にこの瞑想のエクササイズを示しますが、エクササイズ中は、何か一つ特定の思考・イメージ・または記憶を決めて、それを受け入れ迎えられるよう十分に時間を取り、その思考/イメージ/記憶が自分の心と身体において、どこでどのように作用しているかに意識を向けましょう。

目は軽く開いていても閉じていても構いません。自分を取り巻く環境や音はそのまま受け入れて下さい。つまり、肌に触れる空気の感触、身体が呼吸する感じ、あなたの心の中にある思いや考え、そしてその思考に伴って起きる身体の内側の感覚を、あるがままに受け入れるということです。

「自分はまだまだ。駄目だ」「違ったやり方をするべきだった」「自分はめちゃめちゃだ」「無力だ」のような、自分自身についての描写で、時折これは本当だと思い込んでしまっている思考を特定しましょう。

この思考を自分の唯一の現実だと信じた時、自分の身体のどこで、どのように感じますか?腸、心臓、または喉で感じますか?リラックス/緊張、オープン/閉じていると感じますか?

さあ、反対の思考を受け入れてみましょう。「自分はまだまだ。駄目だ」は「自分はありのままでよい」としてみましょう。「違ったやり方をするべきだった」は「私は常にベストを尽くしている」としてみましょう。「自分はボロボロだ」は「欠けたところがない」「十分に充ちている」。そして、「自分は無力です」は「私は能力があります」としてみましょう。

この反対の考えが、あなたにとって真に現実であるかのように思い受け入れてみましょう。自分の身体の、どこでどのようにそれを感じますか?腸、心臓、または喉に感じますか?リラックス/緊張、オープン/閉じていると感じますか?

時間を十分にとって、対立する双方を片方ずつ順番に、そしてその後両方を同時に体験します。その間、この実践が身体と心の、どこにどのように影響を与えているかを感じながら。(ヒント:意識的に思考している頭で、反対の思考を容認できなかったとしても、ストレスを感じないでください。頭で考えることは無理なことなのです。代わりに、反対の思考の両方を同時に感じて経験し、それらの思考が自分の身体へ与える影響も感じて体験しながら、感じるがままにしましょう。)反対の思考の両方を同時に受け入れることは、対立の領域を越えた、創造的な洞察の世界へと、あなたを連れて行ってくれるでしょう。

さて、この実践の結果として、日常生活で明確にしたいと思う意図と行動は何か、考えてみて下さい。例として、瞑想を学んでいて、かつ癌患者であるジュリーが、反対の思考を受け入れる瞑想をしたときに発見したものを次に示します。

ジュリーは彼女の思い込みについて瞑想しました。「自分は愛されるような存在じゃない」「負け犬」「がんを治すなんて自分には無理だ」 実際に次から次へと沸き起こって来る、このような思いや考えから救われたい、という意図を持って瞑想していました。彼女は悲しみと恐れを感じ、これらのネガティブな思い込みにとらわれていました。しかし、その後彼女は恐れを感じていたままであっても、 「私は愛される存在だ」「ありのままでよい」「有能だ」 のように反対の思考とじっくり向き合うことで、彼女は高揚感を感じることができました。

ジュリーが2つの反対の思い込み/信念、つまり高揚感と恐れを同時に感じ経験したときに、彼女は自分の輝くような深い気づきの意識を経験しました。「私は愛そのものだわ!私はいつも最善を尽くしているもの!」彼女は、「愛そのもの」として、愛されないことと愛されることの両方を受け入れ、別の機会には失敗することと成功することの両方を容認することができると気付きました。こういった洞察は彼女の人生に永続的な影響を与えました。彼女は他の人たちそして自分自身との、長続きする親密さを経験しました。というのは、彼女は既に愛や全体性・完全性を自身の中に見いだしており、もはや他の人の中にそれらを探し求める必要がないからです。

前進

反対の思考を歓迎することが難しいと思うのは、心はポジティブからネガティブを区別するように設計されており、ここで苦しみが発生するからです。頭が物事は分離していると認識する際、例えば、自分を取り巻く世界は自分自身とは切り離されているのだという、一組の反対の思考の片方の思い込みや考えに焦点を置いているような時には、自分が切り離され孤立していると感じられるでしょう。瞑想中には、あらゆる思考を自分の本質的な全体性の1つの表現として受け入れることを学びます。「一体どうしてこの考えが自分の全体性を表現しているといえるのだろう」と考えて、頭はこのような理解に抵抗するかもしれません。ですが、統一された全体的な意識の中で、すべての思考はそれと対立する思考と共に生じるのです。

反対の思考双方を同時に歓迎し受け入れれば、ジュリーのように、本当の健康、平和、そして愛を体験するために、自分の置かれた状況を何も変える必要はないという真実を、垣間見ることができるでしょう。

 

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